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火葬の始まりと仏教伝来

『日本書紀』によれば、日本で最初に火葬に付されたのは、奈良・元興寺の僧・道昭で文武四年(七百年)とされています。
道昭は留学僧として中国で仏教を学び、帰朝して法相宗の開祖となり、死後、遺言によって弟子たちにより火葬されました。
もともと我が国には火葬という風習はなく仏教によって伝えられたものであります。
仏教での火葬は、お釈迦様がインド古来の葬法によって火葬されたことから始まっています。

その三年後、持統天皇は天皇として初めて荼毘(火葬)に付され、以来文武天皇、元明天皇と続いていきます。
しかし、これによって天皇家に火葬が定着したわけではなく、仏教が朝廷を中心とする支配階級に浸透した平安朝の時代でも火葬と土葬は併用されたいきました。
ましてや庶民の間に火葬が広まったわけではありません。

そうしたも状況を示すもののひとつに京都の西福寺に残る「九相観の図」があります。
これは嵯峨天皇の皇后、檀林皇后が風葬に付された時の図で、その朽ち果てていく無残な様子が描かれています。
他にも、平安中期の念仏僧として名高い空地上人が河原や道端に捨てられた遺体にみかねて、まとめて火葬したという逸話も残されています。

鎌倉期になっても、ひとたび飢餓や天変地異におそわれると、都大路には捨てられた死体であふれ、それを集め仁和寺の僧が火葬したという記録があります。
災害時とはいえ、当時の大衆の葬法に対する意識の不徹底さを物語っています。

また、大衆仏教を世に広めた法然上人でさえ最初は土葬され、のちにある事情によって火葬されるに至ったといういきさつがあります。

これをみても、仏教式の火葬という葬法と仏教徒であるということが必ずしも一致しないことがわかります。
後に、遺骨を霊場に結縁するという習慣によって仏教徒=火葬という図式は普及していくわけですが、当初にも述べたように、それが徹底されるのは明治時代に入ってからで、仏教伝来から考えると相当長い時間がかかっているわけであります。

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